対岸の火事的発想

以前として東日本の復興は送れている現状のなか、奈良、和歌山の土砂ダムが時間の問題と
それを見て聞いても何も出来ない、ましてやそこに住んでいる方はどんな気持ちだろうか?ただ避難
するしかない目の前で津波で自分の家が流され土砂崩れで家が埋まってしまう。明日は我が身とその光景を見て
どれほどの人がそう思うだろうか、車で走っているとよく救急車と出会うことがあるが、乗ってみるとわかる
らしいがもっと早く行ってと思うらしい、その当事者とそうでないものとではかなりの差があるのでしょう
その差というか距離は埋められないものでしょうか、つまりその相手の気持ちになって行動をすることが出来ない
ものなのだろうか、日本人だけかどうかはわからないが、病気になって始めて病気のひとの気持ちがわかると
よく言いますが、こういった考え方はどこからくるのか、自分は病気はしない、救急車なんか乗らない、家もつぶれない
と思い、危機感というものが無いのだろうか?私も含めてそうだと思います。大げさに言えば日本は島国でどこまで
行っても県境いはあっても、国境はありません、つまり陸続きでないから他国が陸からの侵略は無い、国境のある
国はいつも緊張感があるといいますそう。日本にはそういった緊張感、危機感が無い、すべてがそこから
始まっているのでしょうか?              

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